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加波山山行

令和2年2月8日 茨城県に位置する加波山・足尾山にい上る。参加者は8名 クラブ山行。天気は良好、日光連山が雪をかぶりよく見えた。加波山から足尾山のルートは思ったよりハードな道のりであった。

実施記録
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加波山
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足尾山山頂
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沼津アルプス山行

令和2年1月25日(土)クラブ山行で7名と沼津アルプスにの上った。以前す全ての山を縦走したことがあったが今回は半分を縦走した。11月以来の山登りで少し不安はあったが気苦労に終わった。天候は少し曇り空で残念ながら富士山は見うることができなかった。久しぶりの山行で気持のよい汗をかくことができた。

実施記録
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駿河湾の眺望
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鷲頭山山頂
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奥久慈男体山山行

令和元年11月4日 クラブ山行で茨城県に位置する「奥久慈男体山(6534m)」にクラブ山行として初めて登った。天候に恵まれ、山頂からの眺望も恵まれ晩秋の奥久慈路をを堪能した。奥久慈男体山は岩石で構成され荒々しい岩山で、健脚コースは長い岩登りのルートで久しぶりに岩登りを楽しんだ。ただ交通機関が充実されていないため最寄駅から往復約2時間のアスファルト道路を歩かなければならないので自家用車利用の登山者が多い。この度は台風19号で水郡線が被害を受け一部不通の箇所があるので一部計画を変更して実施した。
実施記録
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奥久慈男体山
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山頂
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鳥ノ胸山山行

令和元年10月20日 山梨県道志村に位置する鳥ノ胸山(とんのむねやま)の総会山行としてメンバー9メーで登った。天候に恵まれず山頂からの眺めは残念な結果になったが、なかなか骨のある山塊であった。特に下山は地図上で破線になっているルートを選択したため、やはり急峻で山道が明確でなく厳しい困難な下山であった。

山行記録
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鳥ノ胸山
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山頂
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四阿山山行

令和元年10月5日~6日 クラブ山行でメンバー6名で長野県と群馬県の県境にある100名山である四阿山に登った。あいにくの天候で山頂での視界は無く残念な登山となった。真横に位置する根子岳にも登り秋の上州路を満喫した。

実施記録
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四阿山山頂
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根子岳山頂
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越後駒ケ岳山行

令和元年9月16日~17日 昨年天候不順のため登頂を断念した越後駒ケ岳に登頂した。天候は思わしくなく、山頂の眺望は全く駄目だった。長く厳しい山頂までのルートだ。往復10時間を要した。

実施記録
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山頂
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帰路やっと姿を見せた越後駒ケ岳
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岩木山・八甲田山・岩手山山行

令和元年8月31日~9月3日に掛けて青森県の岩木山、八甲田山、岩手県にある岩手山に登った。天候は恵まれず何れの山の山頂付近からは展望はなくややストレスの残る山行となった。しかし登山途中では独立峰ならではの眼下に素晴らしい展望が開け疲れが癒された。岩手山は今回は柳沢コースを登ったが、このコースはYAMAPのコース案内には記載されていないコースで当クラブでも登った会員は殆どいないコースだ。しかし、山道はしっかりと整備されていて宿泊した民宿 布糸灯園(ふしちょうえん)から登山口まで車で10分以内に位置しとても利便性のよい登山道であった。

実施記録
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八甲田山山頂
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岩手山山頂
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月山山行

令和元年8月17日~19日 羽黒山から月山から湯殿山に下山する出羽三山神社を巡った。交通は往復路共に夜行バスを利用。3人掛けシートでゆったりとして快適だった。天候に恵まれ、紺碧の空に出羽三山が美しかった。たた遠方は少しガスがかかり遠望は難しかった。人気の山なのでロープウウェイでの登山客が多く、月山からの姥ヶ岳までのルートは登り客の待ち時間が多く閉口した。月光坂はかなりの急こう配で心身共に疲れれている中で、下山にかなりの時間を要した。下山後のバス便が少なく14時台のバスに間に合わなかったので2時間待つことになり、ままた夜行バスは23時15分発なので鶴岡でも約5時間の余裕が有った。時間を持て余す山行であった。
実施記録
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羽黒山神社
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月山神社を背景に
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湯殿山方面への縦走路
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湯殿山本宮入口
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蓮華岳から烏帽子岳山行

令和元年7月21日~24日 針ノ木雪渓を登り、蓮華岳、船窪岳、烏帽子岳と登る北アルプスを縦走した。
天候が少し恵まれなかったのが残念だったが。それでも1日中降り続いていたわけではなく、要所要所で北アルプスの壮大な山塊と今を盛りに綺麗に咲き誇っていた高山植物、更にライチョウ等々大自然の恵みに巡り合うことが出来とても有意義な山行でした。
 一方で表銀座コースにも後立山コースにも属さない、未知の空白地帯のの山塊はやはりとても難航を余儀なくされる山登りでした。特に船窪小屋から烏帽子小屋までのルートは難航を極め、途中雨に降られたことも影響したが、船窪小屋への到着は烏帽子岳登山を翌朝に延期しても18時近くの到着となった。当然山小屋に詰めていたパトロール隊のメンバーに叱責され、計画がズサンとかなり手厳しい非難でした。到着時間が18時近く(予定より3時間遅れ、烏帽子岳を翌日にしたので実質は4時間遅れ)では非難されても当然と思うが、このコースは我々レベルの体力と技術力では時間通りに歩くことが出来ないとても厳しいルートであることを今回の山行を通して認識した。しかしながら踏破したことには変わりはない。少々のヒヤリは有ったが無事下山できたことをチーム全員で喜びたい。

実施記録
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針ノ木雪渓
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烏帽子岳山頂
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ライチョウ親子
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コマクサ
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恵那山山行

令和元年5月11日、12日 11日 中央アルプスの南に位置する百名山である恵那山に登った。前日萬岳荘に宿泊し、翌日追分口から登山。
当初天候が危惧されたが幸い天候に恵まれ山行としてはこの上ない気候だった。自家用車車で京成津田沼駅でピックアップ。中央道を走り定刻に萬岳荘に到着。途中宿での夕食の準備で食料を買い出し。萬岳荘は食材の持ち込み宿で、宿での食事の提供は無し。すき焼きを全員で作り美味しくいただいた。宿は我々の他女性客2名でとても空いていて快適な宿泊を楽しめた。夕日を観察するため、宿の主人が案内してくれ好感が持てた。
2日目は3時起床、4時出発、その間に朝食を準備し食事し等々のあわただしい朝であった。定刻通り出発でき当初予定していたの登山口を変更し、追分口から登った。いきなり急峻の登りで早朝の身体には堪えた。神坂峠で当初登る予定のルートと合流し以後は予定ルートを登った。途中までは道も良く天候に恵まれ快適な登山を続けられたが、1800mを越えたあたりから残雪がちらほら出始め次第に残雪が深さを増した。一ノ宮に登る急との登りは圧巻でかなりの残雪が残り、至る所ゆるんでいたので足が残雪を踏み崩し腰の付近まで潜ってしまうところがあり、更に急とが重なりとても難儀した登りであった。そのような状態なのでかなりの時間と体力を消費した。一ノ宮を過ぎたところから平坦な道が頂上に向けて続いているが、この道も深い残雪に覆われ、やはり雪の踏み抜きに悩まされながらの登山となった。途中天候に恵まれたので、御嶽山や中央アルプス、南アルプスの山々がよく観察することが出来た。大変ラッキーであった。恵那山の頂上は周りが森林に覆われ遠望は皆無。百名山の名前負けする頂上だ。登りの時間をかなり要したので下山時間が遅れたが、帰路は全員がアイゼンを装着し、滑落に備えた。足を踏み込む状態は相変わらずで下山もかなりの時間と体力を消耗したが、雪が亡くなったところからスピードを上げ予定より1時間半ぐらいの遅れで追分登山口に到着した。心身ともにとても疲れた山行であった。帰路クアリゾート湯船沢で汗を流し、帰路に着いた。途中諏訪湖SAで夕食を摂り、帰宅は21時頃となった。初めて経験した残雪を登る大変さは大変良い経験となった。
実施記録
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萬岳荘からの夕日
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恵那山
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恵那山山頂
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